K's Labo 3G

 文面にみる人の思考

滅多に業務で社外に出かけて行くことが、あまり無かったのですが・・・。ここ数週間だけをピックアップして考えてみれば、今までよりはるかに社外に赴く回数が増えています。お客さまの元に訪問し、生の声を聞ける回数が増えています。(弊社制作スタッフの長、上枝も同意見と思われます。)
私の仕事上、どうしても自分の前のパソコンとお友達となり、人と話す事が億劫になる事が多いです。ですが最終的には、人に使ってもらってナンボのモン!ってものをクリエイトしてる都合上、人とのコミニケーションは避けては通れない事だと思います。
自分が作成しているシステム及びデザインは、行き着くところ人に到達します。その人が使い・感じ、「何だかよくわからない」って返答が帰ってきた時のショックは、奈落の底に突き落とされるよりつらいものがあります。
そんな事が発生しないように、設計をし情報レイアウトを考慮し、人が見る上で完全なるページ作成を志しております。しかし・・・。

どうでしょう。この業界だけに特化した話ではありませんが、携帯電話の発達により、今まではある一定のレベルの人でないと使用が困難であったメールが爆発的な普及を遂げています。メールは実際に文章を発する訳ではなく、文字ベースです。しかも情報の通達方法は、自分から送信先に対しての一方通行です。その事は極めて危険極まりないと思います。何故ならば、実際に遭えばかなりお喋りされるかたも、電子データレベルでは、キーボード操作の都合上、無口な方と認識されてしまう場合が多いからです。
今では時間的な制約から、短いメールの文面から全てを把握出来るようにと奨励している会社もあると聞いてはいます。しかも、その事を一種の技量と判断する事も多いと聞きおよんでおります。が、どうでしょうか?どこまでいっても、人はアナログです。「true」か「false」でないニュアンスも、生活・仕事がら発生するのではないでしょうか?実際に発する言葉の「愛してる」と、文面としての「愛してる」。心に伝わる係数は如何なものでしょう?

昨今のインフラの向上から、一昔前では考えられなかった事が現実のものとして私達の前に展開されています。それも使うの自由。使わないのも自由です。その人のスタイルに準することですから。しかし、こちらから自分のスタイルにあった内容をこじつけする事は、絶対無くすよう心がけてないといけないと思います。人は、人です。同じ考え・思想をもつものなんていないのですから。

自分のデフォルトは世間には通用しない。デフォルトはバリアーフリーな考えに準拠するべき。こんな感じですかね。

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