K's Labo 3G
メールという名の媒体
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最近思うようになった事だが、「メール」。非常に便利な連絡手段である。電話では相手の都合も考慮しながら話さないといけないが、ことメールでは作成者主体で話を作成出来る。だが、そこには重大な落とし穴も存在する。私が常にメールの文面を作成する際に心がけている事がある。如何にして送信者に分かり易く説明出来るか。如何にして的確に内容を伝達するか。・・・難しいテーマだと思うが・・・。
この仕事をしている都合上、メールでのやり取りは日常茶飯事。相手の都合も考えずに、こちらの都合だけで言を発っせる媒体は他に無いのではないか?そんな風に考える事が多い。非常に便利なツールである。が反面、困ることも多々ある。メールはこちらから受け側に対しての一方通行。電話等で介する言葉の微妙なニュアンスを読み取ることはほぼ不可能。昨今では「絵文字」なるものを多用やり取りすることが多くなってきているのは知っているが、それは対友人、対知人における場合のみだと推測する。得意先とのビジネスメールで、そんな絵文字なぞもっての他だ。ツールは使いよう。便利なのだから便利なように使う。それを基本概念と再認識してほしい(我がスタッフにもこの内容は思い意味を込めて)。
メールの捉え方だが、あくまでも「ツール」として考える。(あくまでも私の考察だという言を考慮してほしい。)だが会話で生じるニュアンスまでは感じとる言は不可能。だったらこれでええやんって思う完全で簡単な方法がある。メール発信した後にタイミングをみて電話連絡を実施する。このご時世、何を今更って意見も有るのは百も承知。しかし、対ビジネスを有効かつ能率よく遂行するには、アナログ的な話し合いも必要なんですよ。時に私から流したメールの返答が、非常に単文で理解に苦しむ内容だったことも多々ある。短い文章から推測される内容は、どこまで言っても推測の域を脱せず、推測のまま各所に連絡される事がある。が、送信者の言わんとした事は全く別の物語であった。・・・。あの時、確認の電話を入れておけば・・・。何度がそんな経験もある。
メールを作成する者は、作成する立場でしか事をみていない場合が多いのではないか?作成し送信してしまえばその仕事は擬似的に完了したのではないかと思う傾向があるやもしれない。ことに我が社でも普通にやり取りされているメール、解読不能なメールも多々見受けられます。(我がスタッフはメモの用意を。)ここにきて、私が訴えたいのは、メールで結構。内容を全て網羅し、的確に伝達できる!ならばです。非常に大事な事を通達する場合はメールは本来の目的ツールとして使ってほしい。あくまでもメールは補足です。文面を見ただけで細かいニュアンスまで読み取れるほど、ホモサピエンスは進化してないのですから・・・。
その昔、人に理解してもらう為の手紙が、昨今ではメールとなり、さらには短文のやり取りに置き換わり、かつその短文の文章から真髄を見出すものが重宝がられ・・・。会話の意味は今、どこを目的に進んでるのか?労無くし、事の真髄を見出せれば、それはその個人の評価と繋がる。が・・・。どうかな?こんあ事を日々思うようでは、いけないのかもしれない!?
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