K's Labo 3G

 些細なる夢

月曜日。通常より早めに出社。出社時刻AM8:07。一斉清掃前に自分デスク廻りをチェック。今日は田んぼの土は落ちてない模様、一安心。メールチェックを実施。意味不明な社内スタッフからのメールが目につく。殆ど転送メール。対顧客とのやり取りの中で発生した内容を顧客の言葉を借りた転送メール。事案の内容を踏まえていればメール内容から察しはつくが・・・。読んでも理解不能。転送するにしても自分の意見ないしは補足を記載した内容のメール送信を希望。「部長ならこの転送で理解する」って非常に嬉しい解釈は殆ど不可能に近い。補足説明をお願いしたい!私も普通の脳しかもたない人間ですので・・・。ましてや古い型の人間。昨今流行の短い文面から全体のニュアンスを鑑みる才能は無いに等しい・・・。

夢って何だろう?突然だがこの内容をあえて記載したい。当社のスタッフ井上チーフが「Staff Column」で興味深い記事を投稿している。

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最近の若い子は夢がないですね。

日本という国自体が夢を求めれない環境になったせいもあるのですが・・・。

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最近の若い世代のものと話せば話すほど「無気力」という言葉が頭によぎる。とりあえず場の雰囲気を納めてしまえばいいってな感じの発言だ。そんな輩に夢を問いかけたとしても返ってくる答えは大抵決まっている。「普通に社会人的に生きればいいです。」「普通でいいです。」意見を問いかければ「皆さんと同じで・・・。」・・・・・・・・・・・。だが普通と述べたにも関わらず、事が自分の流れにそぐわない場合は反論だけは一人前。私の中ではスクアエ、いやいやキューブに達する具合、理解不能。「普通」って何?それを問いたい。

夢はあって結構。私のもある。ビジョンもある。が、そのビジョンの中に「普通」という言葉は無い。力を込めて発してもいい。もう一度言う。「普通」は無い。「普通」の度合いは千差万別、他者には理解出来ない範疇。それを対外的に発する若年層にあえて聞きたい。「君の普通はどこの普通や」と。返ってくる答えは大抵知れてる。「普通はこう考えますよね。」「普通はこうですよね。」・・・ん~たしかにそうかも知れない「普通」はね。んで「普通」って。・・・私の頭の中の堂々巡りスタートだ。

そこで私はこう考察する。「普通」という言葉は、一種の曖昧な個を確立するが為に用意された日本古来な文化ではなかろうかと。「普通」にしていればOK。「普通」にしていれば考えなくてもいい。では。その重んじる「普通」は個(自分)の中で確立された位置に甘んじているか・・・。翻って考察すれば(飛躍的ではるが)、その曖昧な「普通」の考えが頭に刷り込まれているが為に、本来の夢的な発想・考え・行動に追従されたいないのではないかと思う。いろんな意見はあるかもしれないが、知らぬ間に「夢」はかなえるものからかなえられるものに姿を変えたいるのではなかろうか、若年者の中で。

その昔、私がまだ若かりし頃だが「新人類」という言葉が流布された頃があった。書く言う私も同時は、その「新人類」たるカテゴリに分類された訳だが、今ではどうだろうか?普通のおっさんである。当時、私がその「新人類」たる言葉に対して反論の意味を込めて考えて用意した言葉がある。「自分の主義・主張を正当化する為に大人本位で作成した単語」ってな感じだ。

知らぬ間に私も若者の考えがよく分からない立場になってきている。気だけは若いのだが根本は意と知れない。だが事の本質、本流は我の大いなる個の確立の為、いかなる場合でも肝に銘じてるつもりだ・・・。

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