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天保通宝@昔のお金
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昨日の夕方、当社の社長のブログ「BOSS's Column」で、ときたま話題にのぼる同友会の例会に出席してきました。
私が出席した理由ですが、社長が同友会員さんの前で当社内のことに関してスピーチ(?)をすることが決まっており、社長が虚偽の発言をしないよう、お目付け役(?)って感じで出席させていただきました。
とりあえず、社長のスピーチの内容は、ご存知の方も多数いらっしゃるとは思いますが、とても長~いので割愛させてもらす。・・・・。
私自身、同友会に出席するのは始めてでございまして、右も左も分からずアタフタしておりましたが、諸先輩方の貴重なご意見を拝聴し、とても有意義な時間を過ごすことができました。誠にありがとうございました。
で、毎度のことですが、ここから話はガラッと変わりまして・・・。
んで、ここんとこコレばかりなんですが、今日も「昔のお金」を紹介します(すいません、本当にコレばっかで・・・。ネタがあまってて困ってるもんで・・・。勘弁してやってくださいませ)。
紹介するブツの方ですが、おそらく江戸時代の「天保通宝」です。
先日、自宅の居間でネットを見てたところ、フラ~と私の父親がやってきて、「これっ」と言って差し出し、そのまま去っていきました。私の父親はこのブログをたま~にチェックしており、ネタに困ってるのでないかと気を使ってくれたのだと思うのですが、いやいやお父さん「昔のお金」のネタはむしろ過剰気味。お気遣い無用でございますよ。
まぁ~そんなこんなで煙に巻く訳にもいきませんので、今回の「昔のお金」の提供先は私の父親です。
とりあえず下の画像をご覧ください。ちなみにこれも毎度の話ですが、どっちが表なのか分かりません。

楕円形です。言っときますが「小判」じゃありませんよ。

では、ここで私がリサーチした「天保通宝」について少々。
「天保通宝」は天保6年(1835年)に、江戸の金座が製作したのが最初と言われております。加えて、金座で製作されたために「小判」型になったとも言われております。
額面の方ですが、100文(寛永銭100枚相当)で、とても使いやすく一般庶民に歓迎された貨幣だったそうです。
しかし、100文相当とは言っても銅の重量的には寛永銭の100倍も無く、寛永銭6~7枚を鋳潰すれば、「天保通宝」の製造に必要な銅が手に入ったそうです。その為、民間や地方の藩で「天保通宝」の密造が相次ぎ、そして価値が下落し、さらに100文で通用することは殆ど無くなったそうです。
「天保通宝」を組織的に密造した藩は、分かっているだけで10藩あまり。その中でも薩摩藩は大々的に密造を実施し、それで得た莫大な利益が倒幕に転用されるという皮肉な結果になったそうです。
ちなみに、楕円形で四角い穴の開いた古銭は世界で「天保通宝」ただ一種類だそうです。
余談ですが、ウチの父親がこの「天保通宝」を入手した経緯なんですが、数年前に九州に旅行に出掛けた際に2,000円程度で買ったそうです。
果たしてウチの父親がGETした「天保通宝」。正規版なのか?それともクラック版密造版なのか?それもこの「天保通宝」のみが知る!という歴史のロマンってやつなんでしょうねぇ~。
それでは、また。
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